先輩社員の奇跡の物語MIRACLE / STORIES
1985年入社
石 一三
Kazumi Ishi
仲間の思いやりに救われた
雨の日の優しさ。
入社2年目の頃、宅配便の荷物を10t車で、伊丹市の支店からたつの市の営業所へ昼の便で横持ち運行する業務でした。
その日は確か大雨が降っていて、路面が滑りやすい状態だったと思います。
いつものように安全に事故なく決められた時間内に届けようとハンドルを握っていました。
その日は大雨の為、所々で事故があり地方からの荷物の到着が遅れ気味で、昼の便も出発が1時間ほど遅れました。
出発して40分程たった頃、中国道の社パーキング付近で事故渋滞に遭い、到着予定を大幅に過ぎそうでしたが、当時は携帯電話もなく、営業所へ連絡が出来ません。少し遅れましたが、無事に到着出来ました。
到着先で営業所のドライバーは怒りもせず、無事に到着した事を喜んでくれました。
それと同時に店長から「疲れたやろ、2階の仮眠室で夕方の出発まで休憩しとき」と言ってもらえました。
時間が来て2階から下りると、すっかり荷物の積み込みも営業所のドライバーがしてくれていて、嬉しく思いました。
今思うことは安全に正しく真面目に仕事に取り組む事を学びました。
1993年入社
石岡 誠人
Makoto Ishioka
どんな注文でも、どこにいっても
笑顔が自分を助けてくれた
思い起こせば、私が入社したのは東京レインボーブリッジが開通した平成5年の18歳でした。
当時運送業に就きたいという考えは全くありませんでした。手っ取り早く高収入、そんな理由から旭陸運倉庫に就職を決めました。
入社から今までの間、色々な荷物を運びました。数ある中で一番思い入れのある仕事は、信州高原野菜の仕事です。積み荷は主にキャベツか白菜。
シーズンの6月から10月頃までは家には帰らず、長野から関西・東海方面の市場を毎日往復しておりました。その4か月余りのシーズンも終盤にさしかかる頃にあのちょっぴり嬉しい出来事が起こったのです。
私が専属で入ったのが長野県佐久市にある支所でした。信州の白菜の中でも一番重さがあり、市場でも人気のある生産エリアです。「よし!頑張ろう!」と意気込んで行ったのですが、現場は独特の雰囲気がありなかなか馴染めません。
地方から来たのは私一人で、何か地域の隔たりみたいなものがあり、上手くコミュニケーションが取れませんでした。シーズン終盤のある日、いつものように積み込みを終え、荷主さんから送り状をもらったのですが、いつもとは違う白紙の送り状でした。「数が書かれてませんけど・・・」と聞くと、「卸した数を書いといて」と荷主さんに言ってもらえました。普通はあり得ない話ですが、場の雰囲気に馴染めず、距離感を感じていたのですが、信頼されているんだと内心とても嬉しく思った事は今でも忘れません。
私は入社してから自分のモットーとするところが一つだけあります。それは「どんな注文でも、どこに行っても、同じ事をするなら笑顔で引き受けよう!」という気持ちで、荷主さんに好かれるドライバーになろうという事です。
これは一番利口な選択だと私は思います。
お陰様で長野だけでなく、仕事で出会った多くの方とプライベートでもお付き合いをさせていただいている事が私にとっての財産です。
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これまでの軌跡、これからの奇跡
当社が創業以来取り組んできたこと、そしてこれからの運送業界のビジョンについて、代表が語ります。